ver.Shanghai な日々


by MiHO-panda

Xingjiangへ、愛を込めて

最終日は、夜明け前にトルファンへ出発。
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トルファンの宝石と呼ばれる葡萄。収穫には少し早い時期だったけどこんなに可愛らしい実を実らせていました。
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広大な葡萄畑。
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こちらの民家でランチを頂きます。
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女5人組キャラバンで途方もない距離を駆け抜けた新疆の旅。一生に一度の貴重な体験だったと分かってはいても、やっぱり願わずにはいられない。きっと、またいつか・・・この地を再び訪れることができますように。
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# by miho-panda | 2009-04-09 10:19 | 新彊ウイグルの旅

カシュガルという街

そこは中国と言うには余りにも文化的、思想的に違いすぎる街。ウイグル族の人々はそのほとんどが敬虔なイスラム教徒でもあり、毎日決まった時間になると男性達は街の礼拝堂へと列を成す。その間だけ閉まっている店もとても多い。
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礼拝時に足元に敷くシートを売る子供たち。
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その間、女性たちはこうして外で待っている様子。
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生活の中に宗教があるのではなく、宗教の中に生活があるということ。私達日本人の思想からはおよそ想像もつかないその文化の中にたった一日でも身を置いてみて、歴史上で「宗教戦争」というものが起こり得た環境を初めて実感できた気がしました。

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こちらの建物の色使いってすごく好き。涼しげなミントグリーンに街路樹の緑がとても綺麗に映える。
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すっごく美味しかった杏のシロップ。
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こちらは職人街。
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古い街並みをお散歩してるとき子供達に「写真撮っていい~?」って聞いたら、街中からこんなにいっぱい集まってきて大騒ぎになりました。皆、本当に無邪気で元気です。
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# by miho-panda | 2009-04-05 11:59 | 新彊ウイグルの旅

食は新疆にあり。

新疆の旅は食事が最高に美味しかったことでも印象に残っています。これは主にガイドの馬媛さんの案内によるところが大きい。毎食ごとに何を食べたいか皆の意向を聞いてくれて、それに見合うようなレストランに連れてってくれました。

新疆名物と言えば何と言っても焼きたてのナン、ベーグル。
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砂漠の真ん中のレストランで食べたラグ麺(具と麺とまぜまぜして頂きます。)と羊肉串は絶品。
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とくに新疆の羊肉はどこで食べても、上海のものとは違って全く臭みがなく、厚くてジューシー!!この串は砂漠に群生するタマリスクの木を使ってるのだそうです。

さらにもうひとつの新疆料理としてこれははずせない、ダーパンジー(大盤鶏)。とにかくでかい。直径30センチくらいのお皿で出てくるのが普通です。ぴりっとした辛さにほろほろの鶏肉とじゃがいもがよく合う。最後のシメに太いきしめんみたいなものを入れて食べるので、毎回お腹がはちきれんばかりになってました。
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これもあちこちで食べたポロ(羊肉手抓飯)。
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個人的には羊肉のパイ系料理がとても美味しかった。
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こちらはパキスタン料理。やっぱりヨーグルトがメインに使われてたりします。
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カシュガルでの夜はこんな素敵なアラビアンレストランで。民族楽器の生演奏がなんとも旅の情緒を盛り上げてくれました。
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# by miho-panda | 2009-04-03 09:53 | 新彊ウイグルの旅
次の日はカシュガルからさらに西へ約200km、パミール高原にあるカラクリ湖を目指してカラコルムハイウェイをぶっとばす。
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カラクリ湖は標高3600メートルに位置する湖で(世界で2番目の高さにある湖)、そこに行くまでの景色もまた壮観。万年雪を抱いた標高5000メートル級の山々が周りにそびえ立ち、パミール高原が世界の屋根と言われるゆえんがよく分かります。
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また、このあたりはタジキスタンやアフガニスタン、パキスタンとの国境近くでもあるので、途中の検問所で厳しいパスポートチェックがあるのです。この旅の数ヵ月後にはウイグル独立派による国境警備隊襲撃事件が発生したりして、今から考えるとちょっと物騒な場所でした。
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途中休憩で立ち寄ったブロンクリ湖。
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実は目的地であるカラクリ湖よりもここの景色の方が圧倒的に美しかった。
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白い柔らかみを帯びたその山肌は飛来した砂が少しずつ積もり積もってこういう色になったものらしいけど、それにしても美しすぎてこの風景が現実のものであるという実感がない。(※click!)
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まるで目の前に巨大な絵画が立ちはだかっているような・・・そんな奇妙な感覚すら覚えました。

そしてやっとカラクリ湖に到着。湖の向こう側にそびえ立つのは標高7546メートル(!!)のムズターク・アタ峰。もう高すぎて何がなにやら。
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ラクダは観光用。こんなとこでも物売りが多いのにはちょっと辟易。
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帰り道には、途中のキルギス族の民家におじゃましました。
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こんな雪山の狭間で日々の暮らしを営んでいる人たちが存在するということ。自分にはおよそ想像もつかないその生活の中で、この子は何を思いながら成長していくんだろう。
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この中国ではおなじみ「お尻ぱっかーん服」の文化も、アジアのどのへんまで続くのか気になるところです。
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# by miho-panda | 2009-04-02 18:02 | 新彊ウイグルの旅

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砂漠ではマスク+スカーフ+帽子+サングラスで怪しいほどの完全防備。砂嵐のためです。
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遠くに見える緑の一直線の道が砂漠公路。
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次の日からは砂漠公路を更に南下し、そこから西域街道を抜け「玉」で有名な街、ホータンへ向かう。
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とにかく毎日、こんな地平線を見ながらの移動だった。
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途中で立ち寄ったイエチェンの街。ここの市場でウイグル族の真似してスカーフを買ったり v
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銀ナイフで有名なインギザールの辺りでは、またもやすごい砂嵐に。
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ホータンの夜。
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地元の人たちで賑わう夜市。ここで食べたメイプルシロップヨーグルトが絶品!!

そういえば、新疆の隠れた名物はヨーグルトだと思います。どこに行っても作りたて出来立てのヨーグルトが食べられて、砂糖なしの自然な酸っぱさが最高に美味しい!!!ほぼ毎食ごとにデザートとして注文してました。
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これはどこかの朝食で食べたもの。間違えて「大」を注文したら、顔の大きさぐらいあるやつが出てきて大変。。。

そしてついに、今回の旅の最終目的地でもあり中国最西の都市でもある喀什(カシュガル)へ。ここは古来シルクロードの時代から交易都市として栄え、文明の十字路、または民族の十字路と呼ばれてきた街。また「不到喀什、就不算到新疆。」(カシュガルに来なければ新疆に来たことにはならない。)という言葉もあるほど、敬虔なイスラム教徒が多いウイグル族の街、新疆の首都のような場所です。
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# by miho-panda | 2009-02-13 00:17 | 新彊ウイグルの旅
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どれほど経った頃だろう。砂山の稜線から少し離れた場所に、少しずつちらちらと小さな光たちが輝き始めた。

星、見えてきた!すごいすごい!!皆で口々に言い合いながら首が抜けそうなほどその空を仰ぎ見る。それはまたひとつ夢が叶った瞬間だった。

時間が経てば経つほどその光の数は増していって、だからそのままテントに入って眠るなんてとてもじゃないけど勿体無くてできなくて、いつまでも皆それぞれの場所で砂の上に寝っころがって星を見ていた。あの時何を考えていたんだろう。少なくとも私は、何かを考えていたと言うよりもただあの時を感じていただけのような気がする。

砂山の頂上に上ってみると空がもっと近くなった。そしてぐるりと周りを見回して、果てしない、という言葉の意味を知る。そこにあるのは砂と空だけの限りなく静謐な世界。そして私達というちっぽけな生命体。ただ地球で生きてるんだなぁと思った。

そう。無限に広がる死の砂漠と対峙して感じたのは、その恐ろしいイメージとは全く正反対の、なぜか安らぎともいえる感情だった。

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# by miho-panda | 2009-02-12 23:05 | 新彊ウイグルの旅
a0101253_02114.jpgだいたいアウトドアとはほど遠い生活を送ってきた私である。生まれてこの方、自分でテントを張ったこともなければ寝袋で寝たこともない。
他のメンバーも皆例外ではなかったらしく、女5人の人生初めてのテント設営が砂漠のど真ん中で、という若干意味不明な状況。ただ一人だけ手馴れている馬媛さんが先頭切ってあれこれリードしてくれながら、汗まみれ砂まみれで全員分のテントを張っていった。

だけど砂嵐はまだ完全に収まっていない。たまに吹き付ける砂混じりの強風で、せっかく苦労して杭を打った部分があっけなく吹き飛ばされてしまったりする。だんだんと皆の顔に疲労の色が滲み始めた。会話もほとんどなくただ黙々と作業をするだけ。
そんな中、一人がぼそっと呟いた言葉が今でも忘れらない。「私達こんな思いまでして砂漠に泊まろうとしてるんだね・・・。」後になってそれが最高の笑い話になるのだけど。

日没がやってきた。全てがその闇と砂にゆっくりと呑み込まれてしまいそうな砂漠の夜。日中あれほど吹き荒れていた砂嵐はいつしかぴたりと止んでいた。だけど見上げた空にまだ星は見えない。

そしてテントの横で皆で輪になって座った。紙コップのシャンパンで乾杯しながら、誰かが気を利かせて持ってきてくれた小さなキャンドルに火を灯す。ここでの唯一の光。遥か太古の旅人たちもまた同じようにこうして星を待っていたんだろうか。

馬媛さんが南新疆に伝わる民謡を静かに歌い始めた。それはタクラマカンの風にさらさらと溶けゆくように心地よい。
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# by miho-panda | 2009-02-12 00:03 | 新彊ウイグルの旅
クチャへ向かう寝台列車で一夜明けたその朝方、ガイドの馬媛さんが窓の外をぼんやりと眺めながらこう呟いたのを覚えている。「・・・砂嵐が来てる。ちょっとやばいかもね。」

そもそも私達が新疆へ行ったのは4月下旬ごろ。この時期は新疆一帯が砂嵐に見舞われることも多いらしく、一度それがやって来たら大抵2~3日は視界が悪い日が続くとの事。もちろん星は見えないし、砂漠でキャンプなんてもってのほか。

どうかお願いだから、晴れてくれますように・・・と祈りながら次の日にタクラマカン砂漠へ向けて出発。だけど私達が恐れていた通り、砂嵐は続いていた。視界は決して良いとは言えない。バスはついに砂漠の真ん中を南北600Kmに貫く砂漠公路へと入る。しばらくはタマリスクの群生するゴビ砂漠がずーっと続くのだけど、そのうち目の前に大きな砂丘が広がりはじめ、いつしか広大なタクラマカン砂漠へと姿を変えていった。

その間にも無情なまでに砂嵐はひどくなるばかり。一時期は周りがほとんど見えなくなるほどの視界の悪さで、馬媛さんも「ちょっと塔中(砂漠の真ん中にある小さな町)にあるホテルに泊まれるか問い合わせてみましょうか。」と言い出した。ここまで来てホテル泊・・・私達5人の間に暗いムードが漂う。
結局、もう少し目的地に近づいてから判断しようということになり、私達はただすがるような気持ちで窓の外を見続けていた。

それからまた2時間ほど経過した頃。うとうとしていた眠りから醒めて何気なく窓の外を見ると、さっきよりもだいぶ砂嵐が落ち着いてきたように見えた。時刻はすでに夕方近い。まだまだ完璧とは言えない天候状況を見ながら一体どうなるんだろう、と思っていたら・・・馬媛さんが言った。

「大丈夫、今夜は砂漠に泊まりましょう。」

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(タクラマカンの砂嵐)
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# by miho-panda | 2009-02-11 19:31 | 新彊ウイグルの旅

上海、再見。and・・・

上海Last day。前日までどんより雨模様だった梅雨空が、2週間ぶりくらいに一気に晴れ上がった。

だけど私は朝から号泣。それが美しい別れの涙だけであればよかったのだけど、房东(大家さん)との退室関係のやりとりが非常に行き詰ってしまい、挙句の果てはその場で一緒に色々助けてくれてた私の友達にまで文句を言い出す始末。私のことはいくら悪く言われてもいいけど友達に対して暴言を吐かれるのだけは絶対に許せない。それが悔しくてしょうがないのに、満足に中国語で言い返せない自分もまた悔しくてぼろぼろ泣いた。

だけど房东も決して血も涙もない人間ではなかったらしい。一時はどうなることかと思ったけど、結局最後はとても素敵な条件を提示してくれた。ああ、最後の最後までとことん中国。そして一緒に来ていた奥様と二人で「もう時間ないでしょ。忘れ物ないように行きなさい。小李(かんちゃん)によろしく伝えてね。」と玄関先で見送ってくれた。ありがとう、房东。私も「再見!」と笑顔で手を振りながら住みなれた部屋を後にする。ドアを閉める瞬間、少しだけきゅっと胸が痛んだ。もうここに戻ってくることはないんだ、と。

そして感傷に浸る間もないまま、今度は見送りにきてくれた友人たちに助けてもらってタクシーまで大量の荷物を運ぶ。なんと彼女たちが大型タクシーをチャーターして浦東空港までお見送りしてくれるって言うじゃないか。

「ほんとはサプライズで空港で待ってて、みんなでばーん!って計画だったの。でも荷物も多いだろうし、どうせなら一緒に行ったほうがいいかなーと思って。」

・・・何にしろ三度の飯よりサプライズ大好きな友人たちである。この計画を前日に聞かされたときは電話口で思わず涙した。引越し準備でかなり疲弊していたところに、ふわっとあったかい毛布でくるまれたような感覚。もうとにかく涙腺緩みっぱなしなんである。

更にはチェックインの時にもまたまた荷物に問題ありだわ、もう私一人だったらどうなってたんだろうと思う事態が次々勃発。それらすべて皆の助けがあったからこそ無事に飛行機乗れたようなものね。心の底から感謝感激。ほんとにどうもありがとう。そう心の中で呟くたびまた大粒の涙がぶわっと盛り上がってくるので、手にしていたミニタオルは最後濡れおしぼりのような状態になってしまった。そして出発ゲート前で6人ひとりひとりとハグしてまたの再会を誓い合う。

別れがあるから人の世は美しい。小学校の時、大好きだった先生が繰り返し口にしていた言葉を改めて思い出していた。搭乗ゲートに表示されている「ソウル」の文字を不思議な気持ちで眺めながら。

・・・というわけですでに韓国におります。間髪置く間もなくver.Seoulです。日本へ一時帰国する計画は取りやめになりました。ばったばたで引越し準備して上海浦東空港からソウル仁川空港へひとっとび。いやー、ほんと勢いだけで生きてます、相変わらず。

この話を前の会社の先輩にメールしたら「なんだか戦後の動乱期を生きてる女性って感じでかっこいい。」と言ってくれました。なんて嬉しいお褒めの言葉。これからもモンペ履いてアジア三カ国という闇市を闊歩して参りたいと思います。

だけどI love Shanghai, もうここで過ごした日々が何よりどうしようもなく love, love, loveなのです。新ブログver. Seoulも書くけどね。上海の思い出を手に取り眺めてうっとりしながら、こっちもたまに更新します。GO↑

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# by miho-panda | 2008-06-29 16:07 | in 上海

ラスト一ヶ月

先月の24日で私の上海生活もちょうど一年を迎えました。目に映るもの全てが新鮮で、出くわす出来事全てがユニークで、明日は何が起こるんだろうとどきどきしながら生活していた一年前。あの頃と比べると、自分なりに今の中国という国を咀嚼し、理解でき始めているのかもしれません。

もうちょっとだけ、ここにいたい気もする。でももう一方で、そろそろ潮時かなって思っている自分もいる。己の進退を何物にも制限されることなく好きなように選択できるという自由さに感謝しつつ、色んな状況を鑑み、自分の気持ちにも素直になって考えてみた結果、あと一ヶ月で上海を離れることにしました。

ってほんとは、北京オリンピック前で異様に厳しくなってるビザ発給の問題とかもあるんだけどね。どうにかしようと思えばできるけど、それをあえてやるまでもないかなー、と。

ここの生活は相変わらずとても楽しくて夢みたいなのです。そう、たぶん今日本に帰ったら、上海での日々は本当に夢の中の出来事のように感じてしまうことでしょう。いくらここで地に足をつけて生活しているようでも、やっぱり海外での生活というのは常にどこか儚さをはらんでいて、そこで出逢う人たちも、一緒に過ごす時間も、ある日ふっと消えてしまいそうな気がする。でもだからこそ、その一分一秒をとても愛しく感じてしまうのね。

7月以降は、おそらくたぶんMaybe、いったん九州に帰ります。その後はTokyo, もしくはSeoul!!での生活になりそうです。何といっても得意のノープラン。まあなんとかなるさ。

今はそれなりに忙しくしていて、あと何回ブログ更新できるかわからず、ですが、残り一ヶ月も仕事に中国語の勉強に、同学たちとのバカ騒ぎに、かんたろうとのsweetな時間に、全力で勤しむ予定。あ、新疆旅行記はいつか絶対upするわ。

■まゆ、yokotin、コメントありがとうー。しかもまゆ、って!!元気?ブログ見てくれてたなんてびっくりよ。そんなわけで近々帰国するので二人ともどっかで会えるといいね。いくつになってもどこに行っても、くし亭が恋しい。
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# by miho-panda | 2008-06-01 20:12 | in 上海

・・・

それはいつも通り、のんびりと仕事をしていた午後。手帳を開いてスケジュール確認をしていたら、なんだか頭がふわふわと揺れているような感じがする。

あれ、めまいかな、そんなに疲れてたっけーとしばらくその揺れに身を任せていたら、、、突然横にいた同僚が「揺れてる!」と小さな声で叫んだ。それではっと我に返った。まさか、地震?でも中国で地震はめったにないって・・・そんなことを考えている一瞬のうちに、たちまち周囲が大騒ぎになった。とにかくみんな荷物持って!避難しよう!と非常階段へ走る。上司がオフィスの入り口に立って「早く、早く!」と皆を急かす。

うちのオフィスは高層ビルの31階にある。そこからひたすら階段を下りて下りて下りて、もう自分が今何階にいるのかすら分からない状態。その間にもビルはゆっくりと揺れ続けている。途中の階からも次々に人が飛び出してきて、皆でなるべく押し合わないように気をつけながら下の階へと急いだ。一体何が起こってるんだろう。9.11テロの映像が脳裏をかすめる。得体の知れない恐怖に心臓がばくばく音をたてる。

そしてやっと地上へ出られたとき。ほっと安堵してふと後ろを振り向くと、妊娠3ヶ月の同僚が半泣きになってお腹をさすっていた。もうだいじょうぶ、だいじょうぶだよ、って彼女の頭を一生懸命なでながら、自分自身も心を落ち着かせようと必死だった。辺り一帯はあちこちのビルから避難してきた人たちで溢れている。皆が手に携帯電話を持って誰かと連絡を取り合っている。

どうやら本当に地震だったらしい。それで私はとりあえず一安心だった。でも周りの中国人同僚たちはほとんど地震を経験したことがなかったらしく、口々に怖い、怖い、と言い続けていた。

それが四川省の地震に起因するものだったと知ったのは夜になってから。テレビでも「汶川地震」として特集が組まれ、現地からの最新ニュースを昼夜問わず報道し続けている。いったい震源地から数千キロ離れた上海まで到達する地震波というのはどれほど巨大なものだろう。しかも今回被災した地域は、3月末に九賽溝へ旅行したときの観光バスルートそのものである。あの時の風景はまだ昨日のことのように甦ってくる。

実際に「外国人観光客の乗った観光バスが地滑りに巻き込まれて数十人死亡」という記事があった。もうまったくもって人ごとという気がしない。そして旅の途中で出会ったあの場所の、あの人たちは今ごろ無事でいるんだろうか。被災地の現状が明らかになればなるほど、ただ胸が痛い。
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# by miho-panda | 2008-05-13 18:43 | in 上海
旅行初日。ウルムチ空港で私たちを待っていてくれたのは現地ガイドの馬媛さん。(ma-yuan、私たちはマエンさん、と呼んでいた)。回族のとてもキュート、かつ大らかで素敵な女性。今回彼女に助けられたことは数知れず、で本当にお世話になりまくりでした。
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まずはウルムチにて、桜蘭美女ミイラの眠る博物館や地元の人たちで賑わうバザールへ。街はすでにウイグル族の熱気とウイグル語に溢れていて、全く中国にいるという感じがしません。中国語通じるのが不思議なくらい。
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この日の夜からさっそく南疆鉄道の寝台列車に乗り込み、次の目的地クチャへ向かう。

列車に揺られながらふと真夜中に目が覚めて頭上の窓を見上げると、すぐそこに北斗七星が輝いていた。こんなに綺麗な北斗七星を見るのは何年ぶりだろう。少し手を伸ばせば届きそうなほど。ああ、新疆に来たんだなぁと幸せな気持ちになってまた眠りにつく。そして朝の6時半頃(≒新疆時間4時半頃)再び、のそのそ起き出してみると、まだ蒼い空にはひんやりとした月が浮かんでいた。
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みんなで窓に張り付くようにしてただその光景にうっとりと見入る。長い長い列車は荒涼とした山間の大地を行く。
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# by miho-panda | 2008-05-03 00:00 | 新彊ウイグルの旅

ウイグル族の笑顔

今回の旅で何より印象に残ったのはウイグル人の礼儀正しさ、大らかさ、そしてその笑顔。旅の途中で知り合っていきなり「ちょっと家を見せて」ってお願いしても、みな快く、いいわよどうぞーと招き入れてくれるのです。
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ところどころで彼らを何気なく観察していると、ご飯を食べる前にテーブル上の食器を拭き直したりお茶で軽く洗ったり、スーパーでは店員さんがビール瓶を一本一本拭いてから陳列していたり、レストラン内で料理を持った店員さんとすれ違えばさっと道を譲ったり・・・。何も特別じゃない当たり前のことかもしれないけど、普段中国の他の地域で色んなものを見慣れてしまっている私たちには逆に衝撃だった。
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とある屋台で食べた日は、私たちが食べ終わって席を離れたあとに物乞いのおじさんがやってきて、てっきりそのまま追い払われてしまうんだろうと思っていたら、店主は私たちの食べ残しを一つにまとめ、物乞いのおじさんをテーブルに座らせて食べさせていた。こんな光景はいまだかつて中国でも日本でも見たことがない。

そして道ゆく彼らに突然ぶしつけにカメラを向けても、怒るどころか恥ずかしそうに笑ってポーズを撮ってくれる。
注文を取りに来れば「ニホンジン?日本語ではこの言葉はなんていうの?」と嬉しそうに話しかけてきて、子供たちはと言えば無邪気に「撮って、撮って!!」と集まってきてはその画像を見てみんなで大騒ぎ、である。
女性たちは皆ため息が出るほどファッショナブルなスカーフ使いで独特のスタイルの服を着こなし、男の人たちはバリっとドッパ(四角または六角の帽子)をかぶり街を闊歩する。
そんな光景の連続で、私はいつしかこのウイグル人という人たちをとてもとても好きになっていた。
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ここには少なくとも上海人たちが言うところの「外地人」のような影はみじんもない。それどころか彼らは他人と自分とを比較することで生まれるそんなちっぽけなプライドではなく、自分が自分であることをただ肯定するウイグル人のプライドみたいなものを持っているような気がした。自分に自信があるから他人にも優しく大らかになれる。そんなパワーにこの地は満ち溢れている。
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■limei、さばくーーーーほんとすごいね。そりゃフォーリンラブするわ。笑 カメラのことはかんたろうからも言い聞かされていたので、当日は応急処置でサランラップ巻いたりしてたよ。砂の海、気持ちよかった。
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# by miho-panda | 2008-05-02 23:41 | 新彊ウイグルの旅

新疆人というひとたち

私が上海に来た当時から周りに言われ続けていたこと。「新疆人を見たらスリだと思え」。

それはあながちウソでもないことを後々思い知る。かつてこんなこともあった。タクシーに乗っていて赤信号で車が停車中だったとき、隣に乗ってたかんちゃんが突然ドアを開けて外に向かって大声で何か叫んだ。私は一瞬何が起きたのか分からなかったのだけど、どうやらスリの男の子が家族連れのバッグから財布を抜き取ろうとする瞬間を目撃したらしい。
しかもその子はそれが失敗に終わったことに腹を立て、道端の石をつかんで今にもタクシーのガラス窓越しに殴りかかってこようとするじゃないか。思わずやめて!!とかんちゃんをこっちに抱き寄せた。事の重大さに気付いたタクシーの運転手さんも大声で男の子に一喝。それでなんとか事無きを得た。

だけどあのときの男の子の、悔しさと悲しさに満ちた見据えるような目つきを今でも忘れられない。明らかに漢民族とは違うくっきりした顔立ちの新彊人の子だった。きっといたずらにスリなんてやってるわけじゃない。こんなに小さなうちから生きることに必死なんだ、とその背景にあるものを垣間見た気がして、怖さよりもただ胸が痛んだ。

上海には「外地人(ワイディレン)」という言葉がある。上海人が、上海以外の地方から来た人のことを指す言葉で、それは明らかに「自分たちとは異なるもの」と、ちょっと差別したような感じで使うことが多い。そして上海人はめったに悪いことはしない、上海で犯罪を犯すのはほとんどが「外地人」であると皆が口を揃えて言う。またその多くは、主に地方の農村や新疆などから来た人たちのことを指している。

最初は私もそれをそのまま捉えていた。上海人は皆いい人で、外地人はわざわざ都会に出てきて犯罪を犯す人たち。だけど自分が今色々なものを目で見て話を聞いて、それは必ずしも正しい見解ではないと思うようになってきた。何と言っても今の中国には、彼らがそうならざるを得ない状況がある。

中国経済の急速な発展の恩恵を受けているのは主に沿岸部の都市だけであって、そこへ内陸部から仕事を求めてやってきた人たちが仕事にあぶれ、スリや悪事を働いてどうにか食いつないでいるという話もよく聞く。現在は野菜や豚肉の価格が数年前より高騰しているらしいけど、それは上海で上乗せ価格として徴収した分を内陸部のほうへ分配しているからだと大学の先生が言っていた。だけどそんな政策は恐らく焼け石に水程度のものでしかない。今の中国はそれほど歪んだ発展を遂げてしまっている。

そんな中でのウイグル人、つまり一般に「新疆人」と言われる人たちのイメージ。それは上海や北京などの沿岸部から数千キロも離れた土地で、今なお中国の統治下における貧しい生活を余儀なくされている悲しい人たち。ただそう思っていた。...そう、今回の旅をするまでは。
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# by miho-panda | 2008-05-01 23:17 | 新彊ウイグルの旅

Road to SILK ROAD

小学生の頃、音楽の時間に演奏した曲で今でも忘れられないものがある。それは喜多郎の「シルクロード」。導入部分のリコーダーから静かに始まり、中盤でアコーディオンや鼓笛の伴奏が加わると、その独特のメロディーがなんともいえない異国情緒漂うものに仕上がって体中にざわっと鳥肌が立つような感じがした。そのたびいつも思っていた気がする。シルクロードっていったいどんなところなんだろう、と。

今回の旅は年明けから練りに練って計画を立てていたもので、出発3日前の今日になってやっと全部の手配が確定した。途中、チベット独立デモに起因する民族独立運動が新疆まで広がりつつあるとか、3月にホータンで大地震があったとか、治安上の色んな局面があって一緒に行く予定の旅行メンバーが脱落したり新加入したり。・・・結果「砂漠でなら死んでも悔いはない」というバカ女5人での旅行となる。

メンバーの一人は会社の中国人同僚にこう聞かれたらしい。「新疆なんかに何しに行くの?」
そして彼女はこう答えた。「360度の砂漠と、180度の星空をみにいくの!」

まずは上海からウルムチまで飛び、そこから南疆鉄道の寝台列車でクチャへ向かい、次の日はタクラマカン砂漠を北から南へ縦断。砂漠の真ん中にテントを張って一泊した次の日は、ホータン→ヤルカンド→カシュガルへ。カラクリ湖を観たあとはまた一気にウルムチまで飛び、最終日にトルファンを観光して上海に戻ってくる。

正直、かなりの強行日程。日本が4つ入ってしまうという広大な新疆ウイグル自治区を一週間強でほぼ一周することになり、移動距離は車中だけでも数千キロに及ぶ。

今はシルクロードに関する歴史や知識を必死に頭に詰め込んでいるところで、さらにかんちゃん所有の「NHK新シルクロード」特集をプロジェクターで見ては、ここに行けるのね・・・と一人胸を熱くしている日々です。この人なんと喜多郎の「シルクロード」CDまで持っていた。もちろんi-podに入れていくことは言うまでもなく。

あのときの「シルクロード」を、本物のシルクロードで聴ける日が来るんだ。ああ、もうすぐ。
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# by miho-panda | 2008-04-23 15:28 | 新彊ウイグルの旅

続・キャンパスライフ

最近、大学の授業でなぜか隣にかんたろうが座っています。精読の時間に教科書を開くなり「漢字が多すぎる。。。」と一人つぶやいておりましたが、自分が今何語を勉強しているのか相変わらずよく分かってないみたいです。

大学生活は早くも1ヶ月半が過ぎ、すっかり授業にも同学にもなじんできた今日この頃。こないだは学生寮でカレーパーティーがあるというので寮生でもないのにちゃっかりおじゃましてきた。いやいやほんとに国際色豊か。そして平均年齢若っ。私なんてもう「大姐」扱いですよ。
みんなで歳当てゲームみたいになって、あげく韓国人の男の子に歳をばらしたら「这么老阿!(そんな歳くってんの!?)」と思いっきり言われたのでベシっと一発殴っておきました。そして下課後のランチタイムは、学生食堂や近くのローカル中華にみんなで繰り出すのが恒例となっております。

そんな中、近いうちにイタリアに一時帰国する同学のdavide。ついでにちょっと旅行にでも行ってこようかと思うよ、って言うので、いいねぇ~ヨーロッパは国が全部近いもんねーって言ったら、彼曰く「うん、うちはイタリアの国境に近いからスイスまで車で5分。」
なんと。隣の国まで車で5分!しかもスイス!もう羨ましいを通り越して、日本人にはまったく理解できない感覚である。いいなぁ。うちも朝起きたら裏山がヒマラヤ山脈になったりしてないかな。そもそも上海に山はないけど。裏山がヒマラヤ、舌がもつれて言えない。


■yokotin、生きてる?そういえばそんなこともありました。。私たちが参加した日はエキストラ中心の撮影日だったらしく俳優さんたちには誰も会えなかったの。でも知り合いが参加した日は金城さんいたって。っくー。
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# by miho-panda | 2008-04-22 15:20 | in 上海

銀幕debut、なるか?

人生初めての映画エキストラ体験してきました。

事の発端は友人宅でのんびりランチしていた休日の午後。日本人向けフリーペーパーにでかでかと載ってた「映画エキストラ募集」の文字に「これ、みんなで出ちゃう?」の誰かの一言。映画キャスト陣がかなり豪華だったこともあり、いいねいいねーーー!!!と大盛り上がりして即その場で問い合わせてみました。

果たして数週間後の日曜日。早朝から大型バスに乗り込んで上海郊外の映画撮影所に向かう。私は知らなかったんだけど、友人曰くその撮影所は「華麗なる一族」が撮影された場所でもあるんだとか。いざ着いてびっくり。広大な敷地に日本とも中国ともつかないレトロな街並みが再現されている。こんな場所が上海にあったなんて!!

当日集まったのは総勢100人ほどの日本人と中国人。皆ががらんとした大部屋に集められた後、ADさんが役名を書いた紙を配りながら適当に役柄を振り分けていく。その日に召集された人たちのプレイングロール基本設定は「下層階級」ということだったので、私もモンペ履く気まんまんで行ったんだけど・・・ADさんに渡された紙を見てまたまたびっくり。詳しい役柄は守秘義務上ここでは申し上げられませんが、かなり濃いぃ化粧&bitchになりそうな感じです。

ほどなくして同じ役柄の人たちと衣装替え&ヘアメイクに誘導される。エキストラと言えばただ後ろで歩くだけってイメージだった私は、ここまで本格的に役作りされるとは思いもよらず。厚塗りファンデーションに目ヂカラたっぷりのアイメイク(そういえばこないだの変身写真のよう)、安っぽさ満点の真っ赤な口紅を引かれ、仕上げにコテで髪をぎゅるんぎゅるん巻かれまくる。こうして丁寧に作りこまれること約1時間半、鏡に映る自分の姿に絶句したのは初めての経験です。

もちろんここまでされたのにはちゃんと理由があり、いざ撮影に入った時にはただカメラの前にいるだけじゃなくそれなりの演技をしなければなりません。
最初は若干テレがあったものの、次第にそんなこと言ってられなくなる。監督のOKが出るまで何度も同じ演技を続けなきゃいけなくて、正直体は疲れてテンション下がる一方なのに、演技ではますますテンションをあげることを要求される。もうOKが出た時の嬉しさと疲れ方と言ったら尋常じゃなかった。私たちみたいなエキストラでさえこうなんだから高度な演技を要求される俳優さんたちのプレッシャーといったら想像を絶するものだろう。

ちなみにこの映画スタッフは「ALWAYS三丁目の夕日」の制作スタッフでもあるそう。かつて自分が涙した映画のカメラマンに、たかが端役とは言え、そのカメラの前で演技する機会があるとは。もしかして・・・と皆で期待してた俳優さんには会えなかったけど初めてこういう現場の厳しさ、緻密さ、そして臨場感と言えるものを体感できて、またとない貴重な経験となりました。これから映画を観るときには間違いなくエキストラのほうにも目がいって、人知れずその苦労を慮ってしまうと思います。

私たちがちゃんと映るシーンがあるかどうかは蓋を開けてみないと分からないけど、来年お正月の公開がかなりわっくわく。「K-20 怪人二十面相・伝」。キーワードは紫のコートの女どす。
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# by miho-panda | 2008-04-21 17:42 | in 上海

「赤い衝撃」

最近我が家でもケーブルテレビ導入しました。と言っても日本の番組が映る訳ではないので、全部で60くらいの中国チャンネルを毎日朝から晩までザッピング。

ただ、チャンネル数だけは多くてもこのうち半分くらいが似たようなドラマ、時代劇、たまにバラエティー、ニュース、ドキュメント、という構成なので相変わらず面白みに欠ける感は否めません。でも中国チャンネルのいいところは、そのほとんどに中国語字幕がついてるところ。ぼーっと観てるだけでもかなり勉強になるので、これから我が家では時間があればテレビを観ようキャンペーンです。

そんな中、最近ひとつだけどっぷりはまっているもの。なにやら古くさい日本のドラマをやってるなーと思って何気なく観ていたら、かの有名な「赤い衝撃」ではありませんか。もちろん山口百恵&三浦友和の完全オリジナルバージョンです。これが中国語吹替えの「紅的冲击」として現代の中国で甦っておりました。
とにかく話の展開が超ジェットコースター。突っ込みどころ満載だし、そもそも私が生まれる前のドラマだし。(1976年放送。)この頃の日本はこんなだったのねー、とある意味新鮮な衝撃と共に毎晩テレビの前にかぶりついております。

あーなたがいる♪わーたしがいる♪と百恵ちゃんの主題歌はとっくのとうに歌えるようになったのはもちろんのこと、ここ二日間で頭に叩き込まれた単語、および言い回し。

「水落石出」(事実、真実が明らかになる)
「不如死了好」(死んだほうがマシだわ)
「別装糊涂」(とぼけるな)
「手抢」ピストル

・・・いつ使うんだ。


■ねぎちゃん、まだシンガポール中?僻地はまりまくりです。僻地LOVEです。小葱夫妻の轍を踏んで参りたいと思います。でもシルクロード本当に行けるなんて信じられない、どうしよーーーー。
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# by miho-panda | 2008-04-15 16:54 | in 上海
その青年兄弟は北京からやってきたらしい。「あー、きみたちでしょ、さっき話聞いたよ!」と私たちが中国語を話せると分かるや否やすんごいスピードで話を進めてきた。中国語力に関して言えば私とかんたろう二人合わせてやっと一人前くらいの能力である。分からない単語を補い合ながらネイティブ中国人のマシンガントークに必死に応戦。要は明日雪が降った時のことを考えて、タイヤチェーン装着可能なタクシーを探して交渉しようということだった。

そしてさっそく4人で街へ出る。タクシーと交渉と言っても一体どこでどうするんだろうと思っていたら。まずは弟君がそのへん走ってる個人タクシーを、ねぇねぇ明日オレたち乗っけてくんない?ってなナンパ調で止めたかと思えば、すかさずこちらの希望条件を並べ立てる。相手の表情が少し曇り、でもそれは...と言いそうになったところで、いやいやそれはこうだから問題ないっしょ、とさらにたたみかけ、相手にとっても好条件であることをうまく強調する。かつ物を言わせる隙を与えない。果たしてあっという間に包車契約成立となった。
これがまた破格。なんと松藩から黄龍まで行って、帰りは黄龍から九賽溝空港まで送ってくれて、この往復約4時間以上の代金が一人50元でいいという。あっぱれ。改めて中国人の交渉力のすごさを思い知りました。

翌朝7時半、おんぼろタクシーに4人ぎゅうぎゅうで乗り込み、いざ雪山の黄龍へ出発。そしてその途中に待っていたのは信じられない光景の連続だった。
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Beyond description、もうこの時の感動はなんて言ったらいいんだろう。中国人二人は「天啊!」と繰り返し呟いていたけれど、それは本当に神様に感謝したくなるような未曾有の光景でもあった。自分の目と同じ高さに白雲たなびく雲海が広がる。それが朝の光に照らされて遥か彼方まできらきらと輝いている。静かな静かな、空と雪と光だけの世界。
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ほどなくして黄龍に到着。予想通り、池のほとんどが雪に埋もれているという。ただ一番上にある五彩池だけは見ることができるというので、日中韓登山隊、ひたすら頂上を目指し歩き始めました。
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アイヨー。やっぱり途中の池は雪に埋もれてる。
そして日本代表いちばんへなちょこですいません。途中あまりにも私がきつそうにしているのを見かねて、私のバックパックを皆が変わりばんこで背負ってくれたり、かんたろうに至っては階段があるたび前から引っ張り上げてくれたりと、皆のおかげあっての雪山登山。標高3500メートルの空気が希薄な中、心配していた高山病にも特に悩まされることもなく。

ついに到着、五彩池。もう何も思い残すことはありません。
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山に抱かれた5日間、それはまた秘境への思いをさらに強くさせるものでありました。
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■tsuなさん、そろそろお出ましかと思ってました。笑 みふいでもMiHOでも私は相変わらずでございます。でも中国来てほんとによかった。うん。
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# by miho-panda | 2008-04-10 13:12 | 九賽溝・黄龍の旅
城壁の町、松藩。
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古くはチベットと中国を結ぶ交通の要塞として栄えた都市で、今なお漢族、チベット族、回族、チャン族が共に暮らしている。
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ここに着いた時点で夕方16時をまわっていた。まずは本日の宿決めからである。街を散策がてら、きょろきょろしながら歩いていたら「宿あるよ!見ていって!」とチベット族らしきお兄さんから声がかかる。いったんは無視して通り過ぎたものの、やっぱり見るだけ見てみよう、と戻ってきて、そこが意外にこぢんまりとして清潔なユースホステルだったので即決。ベッド二つと小さなシャワールーム兼トイレ付きの部屋、一泊60元。しかもすぐ隣はこの宿の老板夫婦が経営しているマッサージ店とレストランだったので、本日はここでお世話になりまくりです。
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とにかく1日半歩き回った後だったのでそっこー足部按摩をお願いする。かんたろうと二人マッサージしてもらいながら「あなたたちどこから来たの?」「私は日本人、彼は韓国人」なんてお決まりの会話を交わしていると、横で会話を聞いていたチベット族イケメン老板(声をかけてきたまさにその人)が「そういえばこないだ東京で放送された面白いDVDがあるよ」とテレビの方へ歩いていく。てっきりドラマかなんかが始まるんだろうと画面を見つめていたら、そこに映し出されたのはつい今しがた観光してきたばかりの松藩の街並み。どうやらNHK BSの「世界ふれあい街歩き」という旅行番組で松藩特集をやったらしい。

さらにその画面には見覚えのある二人が。...と思ったら今まさに目の前にいる老板夫婦その二人である。番組の中で、ここのマッサージ店と老板夫婦の一日が紹介されていた。それを見ながらみんなで大笑いする。旅の出逢いって本当に面白い。

ここのレストランも街のローカル具合を考えればなかなかのものだった。松藩でフライドポテトとブリトーが食べられるとは全く予想外。そして看板に唯一英語表記のあったこのお店、西洋人観光客は真っ先に目が行くらしく、私たちの隣ではフランス人の男の子が一人で食事をしていた。成都の大学に留学中でそこから旅行に来てたらしい。
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「Where are you from?」ビール片手にかんたろうが話しかける。まったくこの人の語学力には毎度恐れ入ってしまう。私と日本語で会話しながらフランス人の彼と英語でしゃべり、お店の女の子には中国語で韓国語を教えていた。というか、これは語学力というより人なつっこさの賜物でもあるかもしれない。この後、宿代はどうしても60元からまけられないわよ、と言う女老板にかんたろうマジック炸裂。チェックインの手続きを済ませて部屋に戻ってきたと思ったら「50元にしてくれたよー」と誇らしげにニコニコしていた。

さらにラッキーは続く。本当は次の日黄龍に行くかどうか迷っていた私たち。行っても雪がすごそうだしタクシー代も結構かかりそうだし、、と予定を決めかねていたら「明日はどこに行くの?」と老板が聞いてくる。「黄龍に行きたいけど、うーん・・・」と曖昧な返事をしていたら「えっ、ついさっきも中国人二人組が明日黄龍に行きたいって言ってたから、タクシー相乗りするといいよ!」と言い出した。わぁお。
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■うーちーださん、っていつぞやのうちださんどすか?わぁお。日本だと忍野八海ってとこが九賽溝に似てると聞きました。そうか、上高地もあんな感じなのか。

■limei、もうね、はなぢもんだったよ、あの風景。今度みんなで秘境写真持ち寄ってうっとり会やりたいね。
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# by miho-panda | 2008-04-08 23:53 | 九賽溝・黄龍の旅